原水爆禁止世界大会に参加して 
久寺家中学校 2年 仲川 晴佳
私は、2009年8月7日から8月9日まで長崎に行きました。
原水爆のおそろしさを知り、私達と同じように核廃絶を望んでいる人の声を聞くためです。私は、原水爆禁止世界大会という核廃絶を望んでいる人たちの集まりに、子ども核廃という団体で参加しました。
〜開会総会、閉会総会〜
日本中の人たちだけではなく、世界中で平和、核廃絶を願っている人や国の代表が集まり、オバマ大統領への期待、原爆への思い、自分達の活動を発表し合いました。

私が特に印象に残ったのは、被爆者の方が、「若い世代の行動力は、大きな希望です!」と言ったことです。私達が、核廃絶にむけて行動するだけで、被爆者の方にとって大きな希望になるのだなと自信を持てました。

私は、“海外の方たちは核廃絶に対して反対”という印象を持っていたので、核に絶対反対という思いを聞いた時には、少し驚きました。でもやっぱり、住んでいる国がちがっても平和を望んでいる人や国は、あるのだなと感じました。

平和祈念像
◆平和祈念像
右手=原爆の脅威 左手=恒久平和
軽く閉じたまぶた=犠牲者の冥福を祈る
〜被爆者の話〜
一本柱鳥居 爆心地から3.5キロの自宅で被爆した吉田さんの話を聞きました。原子爆弾により、家、父親をなくしました。

当時、吉田さんは15歳でした。原爆が投下された後は、何の音もしなくなり、肉の焼けるにおいが、漂っていたそうです。

原子爆弾により、家族を失いひとりぼっちになったひともいます。吉田さんの話を聞き、改めて原子爆弾で、家、家族、地域の文化などたくさん奪われたものがあることを感じました。

もう二度とこんなことがないように、まずは原子爆弾について、もっと積極的に知っていくことが、必要だと思います。
◆一本柱鳥居
爆風で半分がとばされた
〜被爆遺構・碑めぐり〜
平和や原爆に関する、建物、像、碑などを歩いてめぐりました。

爆風の威力が、一本柱鳥居を見ただけで伝わってきました。右の写真の他にも被爆しながらも、たくさんの人々を助けた"永井博士"が住んでいた"如己堂"原子爆弾のおそろしさを伝える"原爆資料館"500メートル上空で原子爆弾が炸裂した"松山爆心地公園"など。

〜まとめ〜

世界中には、約2万6千発もの核兵器として使用できる核弾頭があります。
日本は唯一の被爆国です。

長崎に落とされた原子爆弾、通称「ファットマン」は一瞬にして73,884人の命を奪い、74,909人もの負傷者をだしました。

その後も原爆の後遺症で苦しんでいる方、亡くなっていく方がたくさんいます。
浦上天主堂
◆浦上天主堂
爆風により首がとんだキリスト教の像
日本でも原子爆弾を持った方がいいという人が多くいます。
しかし人の命は勝利の代償にはなりません。

日本は平和ですが、今も世界のどこかで戦争が起きています。
日本だけでなく世界中が平和になるために、私は何をすればよいのでしょうか。

原子爆弾や戦争のことをよく知り、その恐ろしさを原爆のことを知らない人や興味のない人に伝えていこうと思います。
山里小学校の防空壕
◆山里小学校の防空壕
ここにたくさんのけが人が運ばれ、校庭で埋葬された。
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