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今回取材に行ったのは、布佐地区にある『旧井上家住宅』です。井上家は、江戸時代に銀座で近江屋という大きな店を出していました。8代将軍吉宗の享保の改革で手賀沼の干拓を引き受けて移り住み、この地区の名主になりました。現在は、江戸時代末期の建物から最近改築されたものまで、見ることができます。 ■ 表門(おもてもん) 『旧井上家住宅』には、立派な表門があります。今から150年以上前の江戸時代に建てられたものを最近修理したそうです。左右二本ずつの太い柱に支えられた大きな屋根のついた門は、「薬医門(やくいもん)」といって、大きなとびらの横にくぐり戸という木のとびらがついています。大きなとびらを開けなくても、ここから夜中でも患者さんが出入りできるので、医者や薬屋の門としてつくられたから、「薬医門」という名前がついたといわれています。戦国時代に城の門として使われ、矢を食い止めたから「矢食い」になったという説もあります。 江戸時代にこれだけ大きな門を持てるということは、井上家の身分の高さを表しているそうで、村をたばねる立派な人だったんだろうと思いました。
■ 旧漉場(きゅうこしば) 表門のすぐ横にある細長い建物は、1922年に建てられた「旧漉場」です。ここは、菜種からしぼった油をこす作業場だったそうで、表門の横にある大きな「かま」も油をこすのに使われたそうです。中には二階がありますが、階段からのぞいてみると天井が低くてとてもせまかったので、どんなふうに使われていたのかなと思いました。 ここでは、昭和初期の鳥かごを見せてもらいました。細い竹ひごにうるしをぬったもので、とても軽かったです。直せる職人さんがいないので、壊さないようにしたいです。 ■ 母屋(おもや) 江戸時代に建てられた母屋は、10年くらい前まで実際に使われていたので、改造されたところがありますが、昔のままのものも展示してあります。取材のために特別に中を見学させてもらいました。とても大きな家で部屋がたくさんあるので、裕福な家だったんだろうなと思いました。普段使う出入り口の他に、位の高い人用の玄関もあります。家のいろいろなところに家紋がありました。 |
家の真ん中に「帳場(ちょうば)」という部屋があって、壁には大きな金庫がありました。ここは、家の主人がお金や商売の管理などをしたところで、全部の部屋や中庭が見えて、だれが来たか、どこで何をしているかがわかるようになっています。二階に行ける階段がついていて、洪水になった時には、お金や書類など、大切なものを避難させたそうです。 庭がよく見える和室の小さなたたみを上げると、炭をいれてお湯をわかす「炉(ろ)」になっていました。昔の人はお茶会などに使っていたのでしょう。 このごろは、フローリングの家が多いので、たたみがたくさんある家は、落ち着いた感じがして気持ち良かったです。古い家具や棚、ランプの形やガラスも今のものとはぜんぜん違って、昔の建物や家具のことがよくわかる場所でした。 ■ 蔵(くら) 表門のとなりの一段高くなったところには、蔵が建っています。米などを貯蔵したところで、利根川のはんらんで洪水になっても、水につからないように土をもって高くしてあるそうです。江戸時代に建てられた「二番土蔵」は、くずれた土壁の中の竹の骨組みが見えます。いたみがひどいので、もうすぐ修理する予定です。 昭和になってから建てられた「新土蔵」は、天井が高く、コンサートなどに使われたこともあったそうです。 『旧井上家住宅』では、たたみの部屋などを利用して、子ども達が昔を感じられるイベントを計画したいそうです。皆さんもぜひ一度来て、どんなことがいいか考えてみてください。
「旧井上家住宅」の案内は ■こちら (我孫子市HP) |
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